AZAZ-NIIGATA.

BLOG ARCHIVE

2017/08/27

チーズとバター

 写真を撮るときのかけ声と言えば、もちろん「チーズ」。映画「男はつらいよ」で、渥美清演じる寅さんが、笠智衆の御前様にカメラを向けるシーンがある。シャッターを押そうとすると、御前様が「バター」-。チーズなら口角が上がって自然な笑顔になるが、バターでは口があんぐり。御前様の勘違いが笑いを誘う◆スマートフォンの普及で写真は手軽になったが、シャッターを押した瞬間はどれも大切な思い出に違いない。東日本大震災の被災地では、津波の土砂などから回収されたものの、持ち主が分からないままの写真が100万枚近くもあるという◆あの震災から6年半。ふるさとでの生活再建をあきらめて、離れた人も少なくない。そうした人たちに思い出の写真を届けようと、東京や仙台に出向いて「返却会」を開く自治体もある◆シリーズ最後の第48作「男はつらいよ-寅次郎 紅の花」は、阪神大震災が起きた1995年に公開された。被災地に居合わせた寅さんも視察にやってきた村山富市首相を避難所で案内したり、炊き出しを手伝ったりと奮闘する。そこには復興への願いが込められていた◆時代の空気をはらみながら、庶民の悲喜こもごもに寄り添い続けた名作。矢切の渡しに揺られて、寅さんがふるさと葛飾柴又へ帰る第1作は、69年のきょうが封切りだった。(史)【佐賀新聞】有明抄 2017.8.27

2017/08/25

ミスター・ヌードル

 米紙ニューヨークタイムズが「ミスター・ヌードルに感謝」と社説で取り上げた日本人がいる。チキンラーメンを発明した日清食品の創業者安藤百福(ももふく)(1910~2007年)である◆「即席ラーメンはお湯さえあれば神の恩寵(おんちょう)を受けられる。安藤は人類の進歩の殿堂に永遠の居場所を占めた」とたたえた。安藤は1958年のきょう、チキンラーメンを売り出した。高度経済成長のまっただ中で、忙しい時代にマッチした手軽さは消費者に歓迎された◆お湯をかけて3分で食べられる魔法のラーメンも、その開発には大変な苦労があったようで、試行錯誤の末、行き着いたのは「天ぷら」。天ぷらを揚げるときに具材に含まれる水分が抜けて細かな穴が残る原理を応用し、お湯で戻せる麺を作り上げたという◆「カップヌードル」誕生も面白い。即席ラーメンを売り込もうと米国を訪れるが、どんぶりがない。現地スーパーの社員が紙コップとフォークで試食する姿がヒントになった。伝記『時代を切り開いた世界の10人レジェンドストーリー』(学研教育出版)に詳しい◆チキンラーメン開発は48歳、カップヌードルは61歳。宇宙飛行士の野口聡一さんが食べて話題になった宇宙食ラーメンは91歳だった。「人生に遅すぎるということはない」。人生100年時代へのメッセージでもある。(史)【佐賀新聞】有明抄 2017.8.25

2017/08/24

小皿の醤油

 刺し身やすしを食べるときに、小皿にどのくらい醤油(しょうゆ)を注ぎますか。まあ適当に? 気にしてない? ところが向田邦子さんは子どものころ、少しでも醤油を残すと父親にこっぴどく叱られたという。小皿の醤油は翌日、ちゃぶ台の向田さんの前に置かれたそうである。 ▼中流家庭でもこうだったから、戦前は本当に食べ物を大切にしたわけだ。「今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てるとき、胸の奥で少し痛むものがある」と、昭和を生きた向田さんはエッセーに書いている。さて時は流れ、醤油どころか刺し身やすしだって盛大に食べ残す昨今だ。それでも現代人の胸はさほど痛まない。 ▼コンビニで売れ残った弁当。立食パーティーの手つかずのごちそう。どんな家にも、冷蔵庫には使い残しの調味料などが眠っていよう。こういう「食品ロス」は年間600万トン余にのぼる。「もったいない」という言葉が注目されながら食のムダが膨れあがる日本なのだ。反省ムードが高まりだしたのも当然かもしれない。 ▼宴会の最初30分と最後の10分は食事に専念する「3010運動」や、フードバンクへの食品寄付など試みはさまざまだ。対策法案をつくる動きもある。ものを食べ切ることの気持ちよさを知る時期に来ているのだろう。向田さんが得意だった手料理のひとつに「ゆうべの精進揚げの煮付け」がある。うまいんだな、これが。【日本経済新聞】春秋 2017.8.24

2017/08/15

"This is a journey into sound..."

30周年なんですネ。


2017/07/26

表裏ではなくA面とB面。

 ことしの夏休みの旅行者は前年度より増える見込みだという。大手旅行会社の予測だ。働き方改革の波及効果で休みが取りやすくなり、遠出への意欲が高まったとみる ▼いい兆しであるが、逆風も近づいている。政府が「残業代ゼロ法案」とも言われる高度プロフェッショナル制度の創設へと動く。高収入の一部の専門職について、1日8時間と定めた労働時間規制の枠を外す。労働者を守るこの8時間の枠も、政府にとっては経済成長を妨げる「岩盤規制」ということか。疑問は根強い ▼アナログレコードの魅力が見直されているという。CDなどのデジタル音源よりも音が柔らかく、耳に心地いい。ジャケットを眺め、溝に刻まれた世界に想像を広げる。そう言えば、レコードにはCDにはないA面とB面がある ▼表裏ではなくA面とB面。二つは午前と午後が続いてこそ完結する一日のようなもの。午前中は威勢のよいロックで始まるA面で、レコードをひっくり返すタイミングは昼休み。午後はしっとりとしたバラードで締めるB面だ。そして針を上げる。訪れる余韻の時間は、次の行動への小休止である ▼こんなメリハリが利いた一日を送ることができればいい。好きな音楽だけでなく、たまには目新しいものにも手を伸ばす。強いられることはない。自ら選択し、自分の時間に入り込む ▼いまレコードが求められているのは、息苦しさの裏返しなのか-。考えすぎかな、とは思いつつ、きょうもお気に入りのレコードに針を落とす。【新潟日報】日報抄 2017.7.24

2017/06/22

「ソーセージ天」

 たまに寄る立ち食いそばの店に、魚肉の「ソーセージ天」がある。夏は揚げたてより、冷めていた方が冷たいそばには合う。別の食堂でも人気の一品で、こちらは熱々がビールにぴったりだ ▼日本缶詰びん詰レトルト食品協会によると、魚肉を使ってハムやソーセージを作る試みは戦前からあった。戦後、愛媛県の会社が近海のアジ類を原料に、本格的に生産を始めた。その後、大手水産会社もマグロなどを使って相次ぎ参入した ▼1954年、ビキニ環礁で米国が行った核実験で遠洋マグロ漁船が被ばくした。その風評でマグロの価格が下落、魚肉ハム・ソーセージの原料コストも低下して、製品がどんどん広がった ▼やがてマグロが値上がりすると、クジラが原料に使われた時期もある。捕鯨が難しい時代に入ると、スケトウダラの活躍である。70年代、防腐剤の発がん性が問題になり、高温高圧殺菌などが導入された。ソーセージ年表の裏に時代の激変が透けて見える ▼生産量は70年代がピークで年間20万トン近くに達した。1人暮らしの学生時代、朝に夕に世話になった。その後、生産は大幅に減ったが、ここ数年は5万トン台で横ばいだ。低カロリーで低脂肪。今や「ヘルシー食品」の一つである ▼ジャーナリストの吉田光宏(みつひろ)さんが月刊誌に寄せた記事を読んでいたら、前述の愛媛の会社は、富山のシロエビ、島根のノドグロなど「ご当地ソーセージ」も製造するそうだ。新潟らしい魚肉ソーセージも食べたい-。ビール党の夢想である【新潟日報】日報抄 2017.6.18.